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安室奈美恵 伝説と苦労 20th Special VOL.2 1997-2002

  • 2012/09/10(月) 01:27:44



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スクリーンショット(2012-09-10 0.08.05)

安室奈美恵、デビュー20周年まであと6日!!!
記念すべきデビュー日である9月16日は地元沖縄で1日限定のライブもあるわけですが、
ここでは、安室ちゃんの20年間の活動を、本人のインタビューも踏まえ、
ちょっと違った切り口で振り返っていきたいと思います。

安室奈美恵 伝説と苦労 20th Special
VOL.2 1997-2002

復帰。事件。低迷。決別。メディアと戦った5年間。


スクリーンショット(2012-09-06 15.45.23)

TRFのSAMと結婚し、同時に妊娠発表した1997年10月。
翌1998年は1年間休業とし、同年5月に愛息子、温人くんを出産。
年末の紅白歌合戦で復帰を果たした際には、休業前では見せなかった涙も見せました。

順調な復帰でしたが、その後、プライベートでは決して順調ではない事が続くのです。
1999年3月、安室さんの母が義弟によって殺害。
詳しくは記載しませんが、その殺害方法は残酷なもので、安室さんの母を殺害後、
容疑者である義弟も自殺してしまうという、誰も報われない悲惨な事件でした。
当日はどの番組も一斉にこの事件をニュースし、
葬儀に向かう安室さんの元に大勢のマスコミが駆けつけました。

トップスターがゆえでもあり、マスコミの対応は仕方ないものもあると思います。
しかし、その後、マスコミは安室さんバッシングへと走るのです。

『母の死は私を地獄へと突き落としました。何もできなかったし、何もできなかった。』
『歌手活動すら何の為に行ってるかわからなくなる事もあり、芸能活動も辞めてしまおうとも考えた。』
(2005年インタビュー、2000年インタビュー)


歌手活動を辞めてしまおうかと綴ったのはファンサイトにも安室さん個人名で投稿していました。
しかし、マスコミはこれに対してまでも、売名行為などとバッシングに走るのです。
この頃から安室さんの異常なマスコミ嫌いが現在までも続いています。

『特にひどかったのは雑誌の批判で、私が子供を捨てて復帰した、と書かれた事です。自分は母の為には何もできないのだと悟った。けれど私も母親。仕事と子育てを上手く両立できればいいのだけれど、ライブ中はどうしても手助けが必要になる』(2005年インタビュー)

あの事件以降、確かに安室さんはどこか深い悲しみを背負った感じが漂っていました。
そんな安室さんに対して、またしてもメディアは「やる気がない」と叩いたりもしていました。

そんなバッシングは2002年、SAMさんとの離婚以降も続く事になります。

スクリーンショット(2012-09-06 15.48.17)

1998年の復帰以降、序所に時代の流れがゆっくりと変わっていったのも事実。
安室さんが作りあげた、『カッコイイアイドル』は序所に流行から消えていくのです。

その対象的な存在と言えるであろうアイドルが、安室さんが休業中にデビューした鈴木あみさん。
皮肉な事にも、小室哲哉さんプロデュースでした。

その後も、モーニング娘。のブレイクや、浜崎あゆみさんのブレイクもあり、
安室さん自体の居場所というか、『アイドル』をやらされていたのに、『アイドル』としての居場所が
なくなったような感じになってしまったのです。

しかし、安室さんにとっては、むしろ『アイドル』の枠がなくなる事は好都合だったのかもしれません。
復帰作『I HAVE NEVER SEEN』以降、自分がもともとやりたかったR&Bを依頼するようになります。

『とにかくR&Bがやりたかった。だから無意味にジャンルにこだわっていた時期もありましたね。』(2005年インタビュー)

ちょうど当時はR&Bブームのようなものもあり、安室さんの音楽の変化は時代にマッチしたものではありました。
プロデュースも、TLCなどを手がけるダラス・オースティンなどに依頼するなど、
本格的にR&B以降しようとはしていたのですが、まだどこか曲自体にも、
和製R&Bな感が否めないというか、安室さん自信がまだ、こなせていないようにも感じました。

その間、R&Bで言えば、MISIA、そして宇多田ヒカルさんの大ブレイクで
彼女達はR&Bディーバと呼ばれるようになります。
今迄になく、クラブ意識のR&Bが当時新鮮で、また、シンガーソングライターという事からも、
アイドルではなく、アーティストとしてカッコイイと呼ばれる存在になったのです。

そうなると、安室さんとしてのポジションはさらに不透明なものになってしまいます。
当時はやはり、踊る歌手=アイドルとされていましたから、歌って踊るアーティストなんて言葉もありませんでしたし、
当時安室さんがやっている事は、『アイドルがちょっとR&Bを歌ってる』ような、
アーティストになりきれないアイドルのようなポジションになってしまったのです。
これには安室さん自信も不安だったと思います。

『親友ですら安室奈美恵は終わったと言っていた。マネージャーにも心配されてたのも知っていた。けれど私は、自分が他のアーティストと少し異なっていても良いと思ってる。』(2005年インタビュー)


スクリーンショット(2012-09-06 15.48.59)

『当時は、自分がどういった音楽をやりたいか、それも踏まえてMTVばかり見ていた。ほんと、1日中MTVばかり付けていた時期もあった。迷いや不安だったんでしょうね。』(2003年、2006年インタビュー)

そして安室さんの決意。
それは、長年プロデュースしていた小室哲哉さんとの決別でした。
今後、安室さんがやっていきたい音楽と、小室さんが得意とする音楽のズレみたいのも生じたのでしょうか。
安室さん自信も、本気でアーティストとして活動していきたい思いも強くなったのでしょう。

小室さんから離れた後のシングル、『Say the word』から、安室さん自信の活動も序所に変わっていくのです。

『一番思い出深いPVはSay the wordですかね。初めて自分で意見して出来上がったPV。これまでPVで踊る事ってそんなになかったんですけど、もともとSay the wordのようなダンスPVを作りたかった。』(2005年インタビュー)

それは、いつか見たジャネットのPVの影響や、ずっと見ていたMTVで流れる海外ミュージックの影響でもあるのでしょう。
小室哲哉の手を離れたと同じくらいの翌2002年、SAMさんと離婚。シングルマザーとなった彼女は、
本当に自分がやりたかった、アーティストの道へ進み出すのです。

『親友ですら安室奈美恵は終わったと言っていた。マネージャーに心配されていたのも知っていた。けれど私は、自分が他のアーティストと少し違っていてもいいと思ってる。私の人気は急落したけど、私はメディアに媚を売って人気を回復するような事はしない。それは大きな挑戦でした。ファンの方達の為に歌うのではなく、私自身の存在を掘り下げる大きなチャレンジでした。』(2005年インタビュー)

つづく。

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