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安室奈美恵 伝説と苦労 20th Special VOL.1 1992-1997

  • 2012/09/09(日) 09:11:45




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スクリーンショット(2012-09-10 0.08.05)

安室奈美恵、デビュー20周年まであと一週間!!!
記念すべきデビュー日である9月16日は地元沖縄で1日限定のライブもあるわけですが、
ここでは、安室ちゃんの20年間の活動を、本人のインタビューも踏まえ、
ちょっと違った切り口で振り返っていきたいと思います。

安室奈美恵 伝説と苦労 20th Special
VOL.1 1992-1997 

デビューからトップスターとなるまで。そして突然の結婚、妊娠。

スクリーンショット(2012-09-06 15.46.13)

1997年、沖縄県那覇市に生まれた安室奈美恵さん。
学校の友達のオーディションの付き添いで、沖縄アクターズスクールに訪れた事がきっかけで、
校長の牧野氏の目に止まり、スカウトを受けたものの、実家の家計の事情もあり、
一度はスクールを断るも、『この子は必ずスターになる』と、当時、異例の特待生として、
無料でスクールに通う事になった事が、音楽の世界を開くきっかけとなりました。

『スクール時代、ジャネットのビデオテープを見た時は衝撃でした。RHYTHM NATIONは今でも思い出のアルバム。他にも、先輩である荻野目洋子さんのコンサートも衝撃でしたね。今思えば、荻野目さんって、歌って踊る歌手の先駆けでもありましたよね。』(2005年雑誌インタビューより)

スクールに通うバス代を節約する為に、片道1時間半の距離を歩いて通った話はファンの中でも有名な話。
『子供の頃はとにかく内気だった』と安室さん本人も話していますが、
スクール内でも、特に目立つ子ではなかったと当時を振り返っております。

そして、念願の歌手デビューが決定。
14歳にして上京。

『3年で芽が出なかったら沖縄に帰って来ようと思ってました。でもね、デビューが決まった時も、地元の人や、学校の子達も、どこか冷たい目で沖縄の人がスターになんてなれるはずない。成功なんてするはずないって、口には出さなくても思ってる旨をヒシヒシ感じてた。それで3年で戻って来たら、それ見た事か。ってなっちゃうから、とにかく必死でした。』(2006年インタビューより)

花々しいデビューかと思いきや、困難も多く、
幾度と繰り返されるメンバーチェンジ、売れないシングル。
スーパーのレジ前で歌う事や、屋上で歌う事も多く、
誰も自分達を見ていないお客さんの前で歌うのは、当時だからできた事だと、安室さん本人も語ってます。

『始めは、グループに男の子もいたんです。でもデビューの時には女の子だけになって、メンバーも減ったり増えたりで、当時、何もわからないながらも、大丈夫なの?と思っていました。』(2006年インタビューより)

しかし、曲は売れなくても、CMやバラエティ番組のオープニングで歌ったり、
子供向け番組のレギュラーで出演したりと、序所に知名度を上げていくのです。

『昔、銀ブラ天国って生放送の番組やってたんですが、その時に安室さんがスーパーモンキーズとして来てて、どうせ、またチャラチャラしたアイドルが歌うんやろ思うてたら、めっちゃめちゃ踊りよって、歌も完璧に歌って、何かすごいもん見たな思いましたよ。曲が始まる前と、終わった後ではお客さんの反応も全然違いましたから』
(ナインティナイン岡村さんの発言)

『ポンキッキーズのウサギの着ぐるみは正直すごく恥ずかしかったし、嫌でした。でも、それでいろんな世代の方が私を知ってくれたし、安室ちゃんって言う愛称も頂く事になったので、今としてはすごく感謝してます。』 (2005年インタビューより)

そして、安室奈美恵は一気にスターダムへとのし上がるのです。

スクリーンショット(2012-09-06 15.46.55)

『やっぱり安室奈美恵を語る上で、小室さんの名前は切り離せないですし、今の私があるのも、小室さんのおかげ。感謝してもしきれないくらいです。』(2005年インタビューより)


MAX松浦こと、現avex entertainmentの社長、松浦勝人氏の目に止まった安室さんは、
当時、六本木のクラブなどで流行していたユーロビートを歌わせる事になります。
当時ユーロビートという言葉すら知らない安室さんは、ただただ速い曲だなと思ってたと語ってます。
「TRY ME〜私を信じて〜」のスマッシュヒット以来、彼女の快進撃の開始。

さらに当時、彼女が出演していた「マスカットガム」のCMを見た小室哲哉の目に止まり、
「この子と一緒に仕事がしてみたい」とゆうようなことを言ってくれたのがきっかけで、
松浦勝人により小室哲哉さんと出会う事になる。
当時、小室プロデュースというネームバリューだけで、オリコンTOP10入りは固いくらいの
ヒットメーカーと組み、「Body Feels EXIT」でトップスターへ。
その後は出す曲出す曲トップ10入りを果たしたり、アムラーなどの流行語が生まれたのは誰もが知るところ。

しかし、どんなにカッコいいダンスを踊っても、どんなにカッコいい曲を歌っても、
安室奈美恵という若い女性の時代の象徴とされるトップアイコンに与えられた勲章は『アイドル』でした。
時代の流れもあるかもしれませんが、当時は、アーティストという言葉は男性やバンドに与えられ、
作詞作曲を行わない歌手、ましてや女性は常にアイドルとされていました。

『アイドルという言葉がとにかく嫌いでした。それに反発するように、とにかく、一目見ただけでカッコイイものや、カッコイイ服ばかり選んでいた。仕事に対しても、それはアイドルがやる仕事じゃないの?と、とにかく反抗していました』(2005,2006年インタビュー)

いつか見たジャネットのように、トップスターを夢見てカッコいいステージを作りたかった彼女でしたが、
当時まだ、会社のあやつり人形だった彼女には何の発言権もありませんでした。

『売れない頃は何も言えなかった。与えられた仕事は何でもこなして来た。だって売れてないから。そこで発言する事は単なるワガママになってしまう。暇な期間が長かったから忙しくなる事はすごく嬉しかったし、楽しかった。でも自分の時間は全くなくなったし、考える時間も与えてくれなくなっていた。』

スクリーンショット(2012-09-06 15.45.40)

彼女は反抗し続けた。
それが現在のセルフプロデュースにも繋がってるのかもしれません。

安室奈美恵自身が描くアーティスト像とは反比例するように、時代のアイドルはさらなる快進撃を繰り返し、
史上最年少でのレコード大賞受賞、史上最年少での4大ドームツアー制覇...
まさに時代の象徴へと進化していきました。

そして、突然の結婚と妊娠。
今でこそ多い授かり婚ですが、当時、できちゃった結婚はかなり冷ややかな目で見られる事の方が多かった時代。
それにはマスコミも始めは避難していましたが、安室さん本人が会見した事や、後の仕事は全てこなした事で、
テレビもマスコミも一大イベントのように結婚、妊娠を祝福。

1997年、年末の紅白歌合戦のトリを勤め、1年間の休業に入るわけですが、
復帰後、新たなる戦いが安室さんに待っていました。

つづく。

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この記事に対するコメント

>松浦勝人氏の紹介で出会った小室哲哉。

ただ松浦さんの紹介で出会っただけでなく、当時(1993年頃?)まだ無名だった安室ちゃんが出演していた「マスカットガム」のCMを小室さんが見て「この子と一緒に仕事がしてみたい」とゆうようなことを言ってくれたのがきっかけで、松浦さんが仲介役をして、安室ちゃんに声をかけてくれたそうです。
このことを書くのと書かないとでは出会い方がまったく違うと思うので、ぜひ書き足していただきたいです。よろしくお願いします!

  • 投稿者: しず
  • 2013/03/14(木) 23:45:29
  • [編集]

Re: タイトルなし

しずさん

ご指摘ありがとうございます!
投稿して頂いた部分、訂正させて頂きました。
他に何かあれば、その都度対応させて頂きたいと思いますので、
宜しくお願い致しますm(_ _)m

  • 投稿者: 安邑          
  • 2013/03/16(土) 15:38:53
  • [編集]

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